伊藤トモの俗・実験室

頑張ってる左手

『白く砕ける』

――カーン!
ドームに甲高い金属音が響き渡る。
新年に相応しい雲ひとつない晴空の下、やや攻撃性のある冷たさの風が吹いている。

ここは野球場であるが本日1月1日は野球ではなく、鏡開きが行なわれている。
投手が鏡餅を投げ、打者がそれを金属のバットで打ち、粉々にする。ブルーシート上に星座のように餅が飛び散る。
中継も行なわれており、今や新年の午前中の定番となっている。

――カーン!
2番打者も見事に投げられた鏡餅を粉砕した。
――プシュー!
捕手の後ろに置かれた門松から炭酸ガスが放出される。

ドームの観客から歓声が上がる。粉砕された餅はお雑煮にしてドームの観客に配られるので、ドームには多くの観客が詰めかけている。
早速、お雑煮配布コーナーは長蛇の列が出来ており、多くのファンがお雑煮を待ちわびている。
厨房にパンコンテナーいっぱいの餅が運ばれてくる。それをいくつかの大きな鍋に次々入れられる。

「お待たせしました、堂山選手のお雑煮、赤味噌の方!」
「はい!」「はい!」
「どうぞ~」

「お待たせしました、堂山選手のお雑煮、白味噌の方!」
「はい!」「はいはい!」「どけよ!」「俺が先に並んでただろ!」
怒号が飛び交い、お雑煮コーナー前が混乱する。堂山選手は京都出身であるので、京都風の雑煮が人気である。

「はい、落ち着いてください!前の方から順番です!」
「痛っ!」「抜かすなよ!」「やっぱ僕 赤味噌で!」「あんこのやつありますか?」「抜かすな!」
「まず白味噌の方から!白味噌の方からです!」
厨房も慌ただしくなる。次々運ばれる餅、次々出来上がるお雑煮、次々来る客、彼女のワンオペで回っているのが奇跡である。


――カーン!
グラウンドでは4番打者が特大の鏡餅を粉砕した。凄まじい破壊力は餅片を2塁まで飛ばす。
――プシュー!
捕手の後ろに置かれた門松から炭酸ガスが放出される。

――カーン!
厨房ではおたまが地面に落ちる。しかしそんなことは気にしていられない。なぜならワンオペだからである。

「お待たせしました、カルロス選手のお雑煮、赤味噌の方!」
さっきまでの喧騒が嘘のようにシーンとする

「お待たせしました、カルロス選手のお雑煮、白味噌の方!」
一瞬、自分がワンオペ過ぎて、目の前の人溜まりが幻覚なのかと彼女は感じたが、すべて現実であった。


「お待たせしました、カルロス選手のお雑煮、すまし汁の方!」
(おかしい、カルロス選手は球団でも指折りの人気のはずだ、そんな選手の雑煮がハケないなんて…)

「チリコンカンは無いの?」
全身カルロスコーデのおじさんが訊く。
「チリ…コン……??」
ワンオペ過ぎて理解が追いつかない。
「チリコンカンはありませんか?」
全身カルロスコーデのおばさんが訊く。
「チリ…コン……」

そのとき、彼女は思い出した。カルロス選手の餅は出身のメキシコに合わせたチリコンカン風味で作ることを。
しかし、今からではもう間に合わない。
「ありません!」
最初からそうであったように、強く発した。

白味噌で!」「赤味噌で!」「白味噌で!」「すまし汁で!」「餅焼いてくれます!」「堂山選手のってまだあります?」「チリコンカンはありませんか?」


――プシュー!
捕手の後ろに置かれた門松から炭酸ガスが放出される。スタジアムでは最後の打者が餅を砕き終えた。

「すまし汁で!」「すまし汁で!」「チリコンカンはありませんか?」「赤味噌で!」「堂山選手のチリコンカンあります?」「すまし汁で!」
しかし、彼女の戦いはもう少し続く。
この厨房の中継もまた人気である。



お題「野球中継」「鏡餅」「炭酸ガス